なんで、どうしての思い出


生活をしていると、「アレなあに」
            「どこで買ったの」
            「どうやって使うの」
と興味を持ち、そして自分にも欲しいとか、装備したいとか思うことありますよね。

まぁ、直接その持っている人や使っている人に「どこで」 「どうやって」 といちいち聞けばたやすいことですが、
初対面でいきなり質問攻めもできないですし・・・・・・。


そもそも人に「何で、どうして」って聞くこと、最近はしにくくなったなぁと思いませんか?


私が「何で、どうして」の虜になっていたはじめは。


  そう、まだまだ言葉に興味を持ち始めた幼き頃。
  オトナの話す言葉は何もかも珍しくて、オトナの会話に首を突っ込んでは、
  「それはどういう意味?」「なんで?」を連呼していました。
  はじめは真剣に応対していたオトナも、矢継ぎ早に連呼する「教えて頂戴」攻撃に
  『わからないことをすぐに周りの人に聞かないで、自分で辞書で調べるか、《子供電話相談室》に相談しなさい』
  と叱られてしまうんです。


  仕方ないので、渋々用意された子供用の辞書や百科事典を開くんです。
  もちろん該当の言葉の意味は、すぐ見つかります。
  でも、書いてある事柄が理解できるとは限らないのです。子供ですから。
  なので、また、わからない言葉を調べる、更にまたその中の言葉を調べる。
  と続いていって、いつのまにか最初の調べていた言葉のことがわからなくなるんですね。


  やれやれなんて思いながら、また最初の言葉に戻って調べなおす。
  1冊の辞書をパタパタ行ったり来たりさせても埒があかないことに気が付きます。
  そこで、画用紙に調べた言葉を書いて行くんです。
  最初の言葉に1枚、その中のわからなかった言葉に1枚、
  またその中のわからなかった言葉に1枚。
  調べた言葉が記入された画用紙が何枚も出来て、その画用紙にセロテープをつけて
  窓や冷蔵庫にペタペタ貼り付けて、眺めるんです。
  こうするとわかった気持ちになって、満足度も全開。

  
  その言葉の集大成を母にゴミの扱いで叱られながら捨てられてしまうまで
  浸っていたものです。


  今でも新しい言葉を調べている時、あの蛇のように長く伸びた画用紙の列を
  ぼんやりと思い出します。




大人になって、またヒト様に「なんで?どうして?」と質問するようになったのは
社会人になってすぐの新人の頃。

仕事のやり方も仕組みも何もかもわからなくて、オタオタする中で教えて欲しいことはたくさんあります。
「聞かなきゃわからないでしょ」という気持ちもありました。
傲慢に言えば、「先輩やわかる人が、か弱い新人に教えてくれるのは、トーゼン」。


しかし、社会はそんなに甘くありませんでした。
『報告・連絡・相談』はマメにしなくては逆に叱られても、質問は気軽にしようものなら
「あなたに教えている時間、私の仕事はストップしてしまう。そこの責任をよく踏まえた上で
きちんと理解をしなさい」と。
もちろん1回のみの緊張勝負。
メモをとれるほどゆっくりではないし、メモを取ってないと指摘されるし。
教えてもらうことが受けられるこちらの体制やリズムが掴めるまで、シンドかったです。
枕がいっぱい涙で腐ったです。



それでも、「知らないこと」をそのままにして通りすぎるのはもったいない。
成長しないと仕事をもらえないし。指名もしてもらえないし。
「知らないこと」を「知る」ためのきっかけが、ヒト様に「何で?どうして?」だったとしても
それはかまわないとも思う(こちらに余裕があって、「なあに」といえる時は)。


ただ、聞いたからには、聞いた側の果たさなければならないことがあるなぁと思うんです。
【教えてもらったおかげで、こんなに成長した】 と成果(結果)を出すこと。
貴重な知識を教えてくれた人に、時間を有効に使ったかなと感じてもらえるようにならないといけないなぁと思うんです。
自分で得た知識をヨソ様に教える(還元する)って案外難しいし、メンドクサイ。
教えた方だって1を教えていきなり10までレベルアップするとは期待していないでしょう(希望はしていても)。
せめて教えてもらったきっかけで、「知らないこと」が「知ろうとする為のスタートラインに立ち、もっと掘り下げて知ろう」
とする体勢になった。だけでもずいぶんと違うと思うんですよ。


教える方だって、客観的にヒトにモノを教えるっているのは、自分の知識の整理になるし、
理解してもらえるように噛み砕いて説明できなければ、実はまだ曖昧な知識だったと気づかされるわけです。
なので、同じ質問をするにしても「そうきたか」とか「惜しい!」と興味を持ってもらえるような
生徒になるように心がけると、
少しは、円滑に質問のやり取りが進む場合もあるかもしれませんね。


聞くのは簡単ですが、身につけるのは大変です。
「何で、どうして」と聞くことでわかったつもりになって満足したり、終わりではなく、
そこから身に付けなければならない身の引きしまるこれからを、
覚悟していかなければなりませんね。
近頃もしや、ブログを通して【教えてお化け】に取り付かれていないか、煙たがられてはいないか、
チョット反省してみました。