数 = 評価 = 価値 の刷り込みに迷わない


ここ数ヶ月、私の生活に突然大きな変化が生じてしまった。
それをこなすまでは、他の一切合切をストップさせてしまうしかなかった。
しばらく、はてブだけではなくネットから離れることを余儀なく強いられる結果になった。


それでも少しでも時間が取れれば、はてブを覗いていた。
私も立派なはてブ中毒だな、と内心笑ってしまった。
そういう時に限って、書きたいテーマがたくさん思い浮かぶ。
書けないジレンマに悶々とした。


更に時間が経過して、はてブを覗かない日が出てきた。
物理的だけではなく精神的に。
それと同時に、これまでとは違った気持ちがわいてくる。
少しずつ、はてブに評価されることに距離をもってみえるようになってくる。


私は、ブログで記事を書いて公開している。
しかし、誰かにみてもらうために書いているわけではない。
私の後々のメモのためであったり、自分自身の心の解析やたくさんの内在する私と対話を記すために書いている。
読み返して改めて見えてきたり、わかることもある。
ゴチャゴチャした気持ちを解きほぐすために、文字にして整理する事もある。


もちろん、自分自身のためならば、わざわざネットに公開しなくても、
オフラインでメモ帳に書いて溜めておけばよいのだ。
それをあえて公開する。
自分自身のためだが、人に見てもらってかまわないという気持ちで公開している。
この緊張感が大切だと思っているし、私は好きだ。


ただダラダラと愚痴っぽく書きなぐるのとは違う。
私の考えや想いを曲解されることもあるだろうし、
誤解から攻撃とみなされてバトルに発展するかもしれない覚悟はしている。
そんなリスクを抱えても、私はそのピンと張り詰めた空間で思考を探り、
時には防衛本能を最大限に発揮したり語りかけて書き連ねる。


私には何か形を作る時やまとめたい時、整理したい時。
ぬるいお風呂で風邪を引きそうになるよりは、時に熱湯を頭からかぶるくらいの緊迫の方があっている。
ヒトリゴトなのに大声で叫ぶなんてはた迷惑な話だが、
私はこうして私自身のためのツールとしてブログを使用している。


それでも、はてブをはじめてクリップをされるという中で、
少しずつ私の気持ちはブレはじめていった。
このブログでも何度か私自身を諌めようと記事にしてみたが、
《数 = 評価 = 価値》 という魔物に囚われた私の心はなかなか拭えなかった。


人の目を気にしないどころか、人の目ありきで存在をしようとさえしていた。
人の目と言ってはいるが、私の妄想する人の目はとても意地悪だ。
強く弱く波状攻撃で息もつかせぬ勢いで私に襲い掛かってくる。
そして妄想の中で足を付けている地面と感じている部分は、
底なし沼であったり、足場のない空の上であったりする。
不安定で危うい。どこまでも堕ちてしまう。


実際の人はこんなに無闇に人を追い詰めたりしないし、
そもそも私という存在にこれほど興味を持つこともない。
私自身だからこそ、こんなにも私をキリキリさせるのだ。


しかし、ここは私の弱い心が創り出した妄想の世界で、不安定で掴み所がない。
だからこそ、その暗闇の中、どんどん深みにはまっていく。
もっと知るには、奥に入りさえすれば何かを掴めるんじゃないか、と深みにはまっていく。
息ができなくなっても、もがきながらでも進んでしまったことであろう。


偶然とはいえ、はてブからもネットからも離れられたこの数ヶ月は新鮮だった。
開放。
妄想の中から、強制的に現実の世界にひっぱり出されたから。


何に縛られていたのかわからないが、のびのびしていた。
「記事を書かなきゃ」
なんて義務にでも感じていたのかな?


いつの間にか偏っていた、記事の読み方、感じ方。
興味の方向。
ガチガチで凝り固まっていた。


柔らかくいたいと思う。
アンテナを高く、広く張っていたいと思う。
もっと素直に、自由に。




でも、私はまたこうしてブログに記事を載せ始めた。
こうして私自身と対話をする場所。
誰かに私の気持ちを伝播させたいわけではない。
想いを伝えるなんておこがましい考えもない。


ただ書き連ねていきたい。
私が私に語る私の心の歩き方。
楽しいと思える遊びの空間がここからみつけられるといいな。