想いを言葉という形にして、目で客観的に確認するために


私が記事を書くきっかけの1つに、
他のブログで取り上げられているテーマを 『私だったらこう考える』
という立場からおこす場合があります。


その内容が、ブロガー同士の議論の題材である場合もあるし、
テーマが気に入って、そこから自分自身を掘り下げ意見発信する場合もあります。


私にとって私の記事は、たくさんの意見の中の1つの意見。
私個人の結論で誰かに賛成することも、反対の意見を表明している立場を取ることもあまりありません。
私個人の意見は、どこかや誰かに属するものではなく、単体のものだと捉えているからです。
万が一、個人に対して言及する場合はきちんと記事中に明記をしますし、トラックバックもさせていただくと思います。
こっそりだけど個人攻撃的な記事をあげることは、決していたしません。
いつでも胸を張ってやましいところ無く記事を上げているつもりです。




書き手の性質、経験、成分などはみなバラバラのはずです。
あえて奇をてらい、奇抜な意見を発言するつもりも毛頭ありません。
逆に意識して誰かの意見に合わせるように努力しないと、
異口同音に足並みを揃えることの方がよほど難しいこと。


自分の気持ちに正直に表現していくことも、オリジナリティの1部だと考えています。
大きく分類したり引いて遠くから見れば似ている意見として見られなくもないでしょうが、
どれ一つとして全く同じではないはずです。
私の経験に基づいた、身の丈にあった理解と解釈。
付け焼刃ではない私の言葉を綴っています。


それでも、人が2人以上が関わりあえば、そこは社会。
私個人の想いや考えがどの場面でも通用するはずもありません。
読み手には賛成派、反対派と2派のどちらかに属していると感じさせてしまうこともあります。
少数派というよりは、個人のそれぞれの意見とどんなにお断りしても、
読み手に不快な思いを与えてしまう場合があります。
表現がいたらなくて、伝えきれないのは書き手としての不徳。
誤解は誤解を招く発言をした書き手として、私が負いたいところです。


ただ、グループに属していたい帰属意識や多数に仲間に守られる安心のために記事を書くと、
気持ちは歪みます。
遠慮が出るし、常にあたりの様子を自分の気持ちとは裏腹でも従わなければならなくなり、
身動きが取れなくなります。
意に添わない言葉を吐く事に自己嫌悪で苦しむ事もでるでしょう。


大勢の賑やかさや華やかさ、楽しそうな雰囲気についフラフラと寄って行きたかったり、
羨ましかったり、魅せられたりします。
私を見失わない、踏ん張りどころ。
こんな時こそ試されます。




私にとって反対意見というと、180度対面の場合というイメージがあります。
強引に言ってしまうと、表と裏。
同じだからこそ反発し合う磁石の両極。
しかし、見知らぬ者同士、たとえ血の通った親兄弟であっても、
そうそう見事な磁場は持たないように感じます。
人それぞれな意見というものは批判対象を明確にしていない限り、
30度とか68度とか対面以外の場所からの意見がほとんどではないでしょうか。
小さな綻びや乱れにいちいち鬼軍曹のように目くじらを立てて監視しているのは、
身も心も疲労してしまいます。




一意見として、というお断りをする事があります。
これは、誰かに対する強要でも、強制でもありません。
自分の意見に自分自身がまだ自信が無い時。
今はこういう意見だけれど、今後環境や気持ちの持ち方、経験で代わる事がある時。
今は白と言う切り口からアプローチしたけれど、他の色でも試してみたい時。
意見や想いはいつでも即断即決では叶わない事もあります。
矛盾や迷いの中から導き出せる事もあるし、そのままズルズルぬかるみにはまってしまうこともあります。
そんなグズグズの想いだって、いや心の中で収めきれないからこそ素直に外に出して
見つめなおしたい。
私の掌にすくってじっと眺めて確認したいのです。


そういう批判の場所に立たない意見さえも、
意見の立ち位置が違うというだけで反対意見や批判意見であると捉えられてしまうと、
発言ということは難しいなぁと感じてしまいます。
ロジックの遊び、思考の旅行。
そんな楽しみもブログにはあり、魅力だと感じています。
『空気を読む』やしがらみ、集団での協調性を大事にするあまり、
個人の想いや考えを発言しにくい場となってしまいます。




人の存在がクローンでない限り、また無意識に洗脳されていない限り、
その人の数だけ個々の意見が存在することでしょう。
意見が食い違うのは息苦しい事ではないはずです。
それが自然の姿。


また、自分の意見を発信する事は、自分以外のいかなる誰かに対する人格否定でもないはず。
意見を敵、味方で区分して情報の取り込み先を浅く、また発言のフィールドを狭くしたくはありません。
多々あるはずの線引きを固定して、フィルタを幾重にもかけて身構えて
血なまぐさい、身動きの取れない不便な場所にもしたくありません。