その時の気持ち


外から飛んでくる気持ちを受ける時、

その時の心の浮き沈みに左右されることがある。

気持ちに余裕がある場合や、機嫌がよい時ならば、自分とは違う意見を聞かされたり、

同意を求められてもそういう考え方もあるなと思えるし、

とりあえず懐に入れておいて、後でじっくり検討するねと受け流すこともできる。



無闇に刺を刺したりしない。

自分に新たな視野やカードをもたらしてくれた事に対して素直に感謝できる。



反対に落ち込んでいたり、被害妄想にとらわれている時は、

すべての事柄が自分の人格否定をしているようで

より一層狭い見識に落ち込んでいく。

誰かや環境、何でもいいから他責にして放り出したくなる。



そんな狭くてジメジメして真っ暗闇の洞穴に、独りぼっちで取り残されたことが寂しくて。

悲しくて、悔しくて。

こんなの私じゃないと自分を虐めたくなったり、じたばたともがいてしまう。

もがけばもがくほど締め付けられ、底のない深みにはまるとわかっていながら、逃れることができない。



余裕があればと思う。

環境さえ、タイミングさえ整っていればこんなことにはと言い訳してみる。



ヒトには感情がある。

自分を想い、誰かを馳せる。

考えられるから、悩む、苦しむ。

辛いから、メンドクサイからと一時的に避けて通る方法もあるのかもしれない。



だけど、地球は丸い。

逃げて逃げつづければ、またもとの場所に戻ってしまう。

しょせんどこにも逃げられない。

カラダをすっぽり隠すマントもないし、

なかったことにしてしまう消しゴムもない。

一度きちんと向き合ってきっちりカタをつけてやらないことには、この負の連鎖からは逃げられない。

何度だって同じところで同じようにつっかえてしまう。



対峙することは、つっかえてグジグジしているよりも体力を使うし、神経をもすり減らす。

できれば好き好んでお手合わせなどしたくない。

グジグジも慣れれば、住めば都に感じるかも知れないし。



でも私は生きていたい。

ただ息をしているだけの、何にもない、何もしない感じない私ではなく。

苦しい、痛い。辛い、寂しい。

そのエネルギィの反対側に、実は寄り添っているかも知れない想いも大切にしたい。



何もかもから逃げ出すことも、硬い壁と殻に冷たく閉じこもることもできるのなら。

温かい血を汗を涙を流せる私でいたい。



だから、

衝突やすれ違いで激しく揺れる気持ちも。

接触による振動で突き刺さる感覚も。

妄想の悪魔に熱く吹き上がる激情も。

何度でも何度でも味わおう。



その時の気持ちは、その時限りの唯一の気持ちだから。

ご機嫌な時も、不機嫌な時も私が私を包んで守っていきたい。