たとえいっとき怨まれても、心を鬼にして。


学校の制服がセーラー服だった頃、電車通学をしていました。
なにせ朝というものは1秒でも長く布団と戯れていたいものですから、
その後の身だしなみやかばんの中身チェックなどおよそ頓着がないわけです。
気持ちは、遅刻しないように電車に乗り込むことに絞られています。


そうすると忘れてしまうのが、セーラー服の脇のチャックの閉め忘れ。
私の通っていた学校のセーラー服は、かぶってから脇のチャックを上から下に閉めるタイプです。
チャックを閉め忘れると、がばっとこれ見よがしには見えないものの、
つり革につかまる時や、歩行時の腕の振り方でチラッチラッと絶妙に中身が見え隠れします。
気が付かないの? と思う方もいらっしゃるでしょうけれど、
いつもより動きやすいかな?と感じるか感じないか程の開放感でしかありません。


中学生、高校生くらいのオコチャマの素肌が垣間見れたところで、
お色気オーラがムンムンにはならないとは思いますが、
意外と誰も注意してくれない場合が多いのです。
お昼休みの頃ぐらいに、お手洗いの鏡に映った自分の姿を見て 『ぎゃぁ〜』 です。


もちろん見知らぬお兄さんや、おじ様に注意されるのは(特に道端や電車の中という公共の場で)
注意された方も恥ずかしいのですが、注意する側もかなりの勇気が必要です。
『ずっと、見てたんじゃないの?』 や 『どこみてんのさ!』 という視線の的になるからです。
おそらく節目がちで見ていないような、でも心の眼はビームを発している状態ではないかと思います。


だからといって、
友達や親しい周りの人がいってくれればありがたいのですが、これがまた難しい。
『チャック開いてるよ。』 と公衆の面前で教えては、やはりかわいそうなのではないか?
少なくとも自分が友達の恥を知らせるべきではないのではないか?
などど思ってしまうからです。
悶々と悩んでいる間に、『まぁ、いっかっ』 ということもしばしばです。
気が付かなかった一点張りで通すことにします。


実際、もし電車の中や道端でこっそり友達にチャックが開いていることを知らされたとして、
注意された方は、恥ずかしさ満点であることにはかわりないのです。
注意された瞬間、頭をよぎるのは、
家を出発してから注意されたこの間、何人にこの醜態を晒したことか、ということです。
道で大転倒した時に、パンツが見られたことより、派手に転んだ行為が恥ずかしくて転倒による痛みが感じられないほどのように。
素肌が見られたかもしれないと恥ずかしさよりは、チャックを開けっ放しでも気が付かないお間抜け振りを晒していたことの方が数倍つらいのです。


ですから、できれば知らない人でも知り合いでも誰でもいいから
そのお間抜け時間をいかに短縮するかのために協力してくれた方がありがたいのです。
それでもお間抜けが発覚した時は、あまりの恥ずかしさにパニックして、
『もっと、早く行って欲しかったよ』 と感謝の気持ちより先に、矛先が変化した逆恨みに発展してしまうか場合もありますが、
冷静になれば、1日中永遠にお間抜け振りを発揮したまま過ごさないで済んだことを、注意してくれた人に素直に感謝することができます。


見てみぬふりも、時として通り過ぎられてしまう方はつらいものです。
お間抜け全開はたくさんの人の視界に入ってしまったのに、無用な心遣いや逆恨みを恐れることで見送られてしまうのです。
きっと見てみぬ振りの人たちがそっと置いていってくれる言葉は、 【自分では憚られるけど、きっと優しい誰かが教えてくれるよ。】
(イメージは、公園で見つけた捨てられている子犬に、家では飼えないけど……と声をかけている図)


私はおかしな点などに気が付いたら、すぐ声をかけて欲しいです。
そのための恥は、これから学ぶためのプロセスだったと理解します。
「郷にいれば郷に従え」 なんて言葉もありますが、誰が見ても恥ずかしいことに限って
特に近しい人は教えてくれません。
それが心地よいインスタントなお友達だったりするんです。
小さな摩擦で壊れてしまうと不安がらせる関係なのです。


ネットでいえば、記事内リンクしているURLがトラックバック用のURLだったりする場合。
ここだけの話や誰にも言わないでねという記事をブログに挙げている場合。
ネタかと思いきや、コメント欄でさわやかにミスを見てみない振りして会話がなされている姿には
正直驚かされます。


もしたまたま通りすがった人が、勇気を振り絞って指摘してくれた場合は、ありがたく耳を傾けたいものです。
それが指摘してくれた人のブログの記事で 【こんな人を発見しました】 と紹介されていたとしてもです。
恥ずかしい人と紹介されたということで、これから伸びていくところを見せていくこともできるのですから。
もし私のブログの記事を 【こんな人を発見しました】 と紹介する時には、トラックバックをください。
恥ずかしながら、赴かせていただきます。


朝、【早く起きなさい】 と連呼してくれる母親に向かって、
『気持ちよく寝かせてくれてもいいのに』 と毎日学習せず恨み言をぶつけるけれど、
起こしてくれなかったり、母親自体がお寝坊をした時は、もっと怨む雰囲気になります。
例題が悪いですが、私にはよくある風景です。実際には自力で起きない私が悪いのです。
けれど、懲りずに毎日繰り広げられる朝のお約束パターンです。


指摘されても恨むけど、指摘しないで見てみぬ振りや素通りされたらもっと悲しい。
もしこのブログの閲覧者がいたとして、沈黙も応えの1つだとしたら
『間違いに気がついちゃったけど、無用な摩擦はいやだから、逃げろ〜!』 
ではあって欲しくないと願ってしまいます。