目的なのか、手段なのか。


物事を始める時、それが生まれて初めて体験することであれば
ただ漠然と 【流行っているから】 【みんながやっているから】
『私もチョットやってみたい、体験したい』 の興味本位で入ることも多いと思います。
そして活動していくうちに、方向性が人それぞれ変わっていきます。


例えばブログなら、
  ・ たくさんの人の感情や趣味を共有することによるコミュニティーを優先するブロガー。
  ・ ブログの手法や考え方を他者とのやり取りを交えていく中で自分のあり方を突き詰めるブロガー。

あなたはどちらに当てはまりますか?と尋ねたら
大半の人は 【両方ともある】 と答えるのでしょう。


では、トラックバックや著作物の取り扱い、無断リンクの有無の意識の違いはなんでしょう?
リテラシーやスキル、経験の違いはもとよりあるのは間違いないことでしょう。
しかしそれだけなら、リテラシーやスキル、経験の低い人は、それらの高い人に文句を言わず黙って従うのではないでしょうか?


実際に文化圏の区分があったり、壁や溝が増幅して一生平行線のやり取りという声も耳にします。
異文化交流はありやなしやとまでいわれてしまうこともあります。
なぜでしょう?


  たくさんの人の感情や趣味を共有することによるコミュニティーを優先するブロガーにとって、
  ブログはヴァーチャルな世界だけど、新しい社会進出。
  ブログの存在は友達を作る手段として利用しているようです。
  ブログに参加して所属し、仲良しという名の集団に組み入れられることがすべて。
  多数決に素直に従い、協調と輪を大事にします。
この要素に含まれるブロガーは、ブログを手段として利用している人たちだと思います。
ブログに所属して雰囲気を共有することを大事にします。
掘り下げることを難しくつまらないことと認識し、広く浅く美味しいどこ取りすることに従事します。


  ブログの手法や考え方を他者とのやり取りを交えていく中で自分のあり方を突き詰めるブロガーにとって、ブログは内省の場で、考えを主張する場。
  溜息やつぶやきでも読み手に媚びるというよりは聞き手のことも想定して記しています。
  もとより自分の主張と反対意見が存在することは折込済み。
  ネガティブな意見でも、それで自分の考察の手札の精度が上がるなら喜んでいただきますの姿勢。
この要素に含まれるブロガーは、ブログを目的として利用している人たちだと思います。
ブログにいかに自分を盛り込むのか、そしてブログと共に成長するのか。
チャラチャラお手軽に記事をネットに載せることを、とても恥ずかしいことだと考えます。


ブログが手段のブロガーにとって、ブログが目的のブロガーは汗臭いスポコン野郎。
苦しさやつまらない事を並べ立てて優越感に浸るナルシスト。
リアルにお友達がいないんじゃないのぉなネットヘビーユーザー。
一方、
ブログが目的のブロガーにとって、ブログが手段のブロガーは楽しければそこそこ何でもOKの世間知らず。
みんながやっているんだから、チョットぐらいの悪さも許されると信じているネット弁慶
ちょっと注意をすれば【バカで悪かったわね】と開き直る。
リアルの生活を犠牲にしているんだろうなぁの急性ネット中毒。


どちらもブログをするという行為は変わらないのに、
姿勢の差でビックリするような温度差が生まれてしまいます。
言葉では『ブログを』と『ブログで』のたった1語の違いだけなのに。
何でも統一すればいいってもんじゃないと思いますが、
お互いがお互いのことを冷ややか(または生温かい)眼で見てしまうと
摩擦や衝突が些細なことから起こってしまうのかもしれません。


はじめにも書いたように、どちらか片一方だけのブロガーは稀の中でも稀であろうと思います。
その場その場で、場所や雰囲気で、上手にボリュームのレバーを上げ下げしていることでしょう。
ブログはこうあるべきだ、とキチキチに決まっていないからこそまた楽しみも新しい可能性も導きだされるとも思います。


それでもあまりにもブログに対するとらえ方が相反して受け入れがたいものならば、いっそのことブログでしたいこと別にユーザーを組み分けてくれたほうが楽チンなのになぁ。
県境や国境のようなはっきりした棲み分けがあったほうが無難なのかなぁ。
などどお互いの考えや思考を犯しあわない折衷案(逃避?)を提案してみたりします。


だってお隣さんが正反対のブログに対する構えの人だったら、気になるではありませんか。
聞きたくもない声や情報も漏れ聞こえてきたり、たまにモノが飛んできたり。