パクリ騒動


ブログを読む機会が増えると、何度か遭遇するパクリ騒動。


きちんと手順を踏んで引用という手法を使えば、
自分以外の人の考えた文章や思いを自分のブログに掲載ができるのにと思います。
卒論や研究発表の作成の時、『論の中身は期待しないが、引用や参考文献の表記だけはきちんとしないと容赦しない』
ときつく言われませんでしたか?


たいていパクリ記事といわれるものは、
    ・ 引用元が記載していない不手際
    ・ 誰の目にもパクリでも、自分のオリジナルと押し通してしまう
    ・ パクって何が悪いと開き直る
のパターンでしょうか。


平気で人の考えや思いをパクってわがもの顔でいられる神経の持ち主に対して
それを見て不信を抱いたり、注意を促しても理解してもらえないかもしれません。
自分のものと人のものの見境が付かない人に道理を言って聞いてもらえるかもわかりません。
そのうち、【自分以外の人の文章をブログに記載する時は、正しく引用しましょう♪】
とさらに誰かの記事をパクって述べているかもしれません。
(コメントや反論、お詫び・反省記事も誰かのパクリだったら、筋金入りで恐いです)


しかし今回は、私がパクられた当事者ではないので、これ以上をここを言及すると、
【パクられないひがみ】とか理解不能な報復を受けそうなので、
パクリ魔へ対する私の意見は、私がパクられ当事者になった時にたっぷり言及させていただきます。


ところで、パクリ魔が時としてそこそこの固定客を持つ(支持されている)ブログであったりする場合があります。
タチが悪さは倍増します。
その固定客は支持しているブログがパクったと他から指摘されると過敏に反応してしまうからです。
      『パクった、パクらないって暇人だ』
      『他人のブログを批判している暇があったら、自分のブログを確認しろ』


いや、そうやって反応しているあなた(支持者)も思いっきり反応してますよ。
      何か都合が悪いんですか?
      本気でパクリは悪くないって思っているんですか?
と聞きたくなるほど不思議な現象です。


パクリを指摘した人を「暇人だ」、「心が狭い」とか言いがかりをつけると、
支持しているパクリ魔が更に不利になるって事に気がつかないのでしょうか。
どうみても、パクリ魔もっと泥沼に引きずりこむための策略にしかみえません。
支離滅裂な得体の知れない援護射撃は、守りたい人が一番被害を被ってしまいます。
どうして支持している人が、「パクったっていいじゃん」「これごときの事で・・・・・・」なんて助長することをするんでしょう。


もし、パクった本人が謝罪したくても、できなくなるではありませんか。
いたずらに騒ぎを大きくして何のメリットがあるというのでしょう。
世界を敵に回しても、支持者の気持ちは変らないとゆがんだ信頼を表明したいのでしょうか。
判官贔屓にしても、この伝説は未来永劫 【正の伝説】 にはならないと思いますよ。


大事に思っている人を非難されたから、ただ単純に気分が悪いのかもしれません。
だとしたら、支持している身近な人たちが誰よりも先に指摘してあげなければいけませんよね。
少なくとも
      『どうして非難されているのか、指摘されている根拠は何なのか、
      いろいろな角度から資料や意見を集めてあげられないものですか。
無為無策で抵抗し、共に散ることが美学だとかじゃありませんよね。


もし過ちを認め、方針を改めるとなると、それなりに気持ちの整理や苦しいこともあるかもしれません。
その時こそ、一緒に立ち直るお手伝いをするという役割を支持者の方が請け負えばいいのではないのでしょうか。
妄信ではなく、真のお仲間を構築してください。


あと、自分のあげた記事に対して批判が付くからという理由だけでファン限定にするのはおやめ下さい。
    それでもコメント一覧から記事の内容はつかめますし、
    仲間内だけで悪口や小さく固まって抵抗するのはやはり自分たちを不利にするだけで、
    その場は凌げた風に思えても何も有利に動くことはありません。
    パクリの反省ができない限りは、何度でもパクリの記事は発生するのでしょう。
    なので、時が過ぎるのを待っていてもまたすぐやってきます。
    逃げるのではなく、事実に向き合ってください。
記事を隠す行為こそ、自分たちが都合が悪い行為をしている表現そのものです。


こうした騒動がある時、やはり付きまとうのが、〜ユーザーだから。
Yahoo!ユーザーはまったく〜」みたいなもの。
私は、【どこでブログをしていても、書いている人のキャラクターで勝負すれば、ブログの会社は関係ない】
と思ってやっています。
ヨソサマにおもしろおかしく見られても、私が私を真っ直ぐ見られなくなるようなことはしたくない。
大勢の仲間の中の孤独はイラナイ。


しかし、例えばYahoo!なら、やっぱり騒動やネタの多いブログであると言わざるを得ませんね。
その原因がシステムの問題なのか、そこに集まるユーザーによるものかはわからないけれど。
      人と人との距離が異常に近づいてしまう。
      でも指摘してしまうと関係が崩れてしまうとどこかで自覚している。
      だからこそ、お互いにナアナアな付き合いになる。
刺激しあったり、悪友な親友、内輪での厳しさは生まれにくい状態にしています。
都合の悪いところは目をつぶって、いいところだけ評価する。
このケイハクな関係が、PCの電源を切れば消えてしまうネット恥はかきすてに繋がるのかもしれません。


そんな幻にしがみついているからYahoo!ユーザーは・・・・・・っていわれてしまうのか。
私も疎遠だけどまだやめていないYahoo!ブログ。
私もユーザーベータ版だからとか言い訳はしないけれど、
試しではじめたものの、「フィットしないから止め」だと私、いい加減なヒトかな?優柔不断?女々しい?
サーバーのゴミ作り屋さんみたいで申し訳ないけれど、悩めます。


ただ、パクリはそんなあいまいな認識じゃダメと、はっきり言えます。
これはブログ間やユーザーの意識の考えの違いじゃない。
ブログだからの特有のものでもない。パクリはどんな時にでもダメ。
どんなに他のオリジナルが良くても、パクリが混在していたらもうその時点でおしまい。
パクリたくなるほどいい文章だったり考えだったら、その出典元を明確にすればいいんですよ。
オリジナルを装ったパクリじゃなくて引用ですよ。
他者の文章や考え、思いを自分の考えの参考や裏づけなどに用いる時は、思いっきり神経を使いたいです。