弱い心に何もかもが飲み込まれそうになる


はてなのブックマークをはじめた時、『私を特徴づける傾向や芸』みたいなものを顕著にしたいと考えるようになりました。

【ソーシャル=みんなに見せるもの】 であれば、それなりの看板がいるのではないかと考えたのです。

そんな時、「私の特色って何だろう」と自身に問いかけたところ、

「思うままにクリップをしていけば、そのうち自然と見えてくるのではないの?」との答えが返ってきました。

そんなものかなぁと思いつつも、自分の本能に任せクリップをしていきました。



しばらくして自分のブックマークについたタグ一覧を見ても、タグの大きさに著しい特徴が見当たりません。

満遍なく同じ大きさのタグが連なっています。

  • α:「この変哲も無いタグ、つまらないよね」
  • β:「興味がある事柄を平均してクリップできているということじゃない」
  • α:「ドカンと際立って大きいタグとかないと、芸にならないジャン」
  • β:「平均して満遍なく興味があるという事が色じゃ、ダメなの?」
脳内の私会議は、αとβが激しく思いをぶつけ合っています。



ここで知ったこと。

ブックマークは自分以外の誰に見られてもいいようにパブリックに設定してあるけれど、自分の見せ方を無理に演出する場ではないこと。



私にもまがりなりにブックマークのお気に入りに登録してくださっている方がいらっしゃいます。

それは、私がその方の情報を持ってくることをお手伝いできるかもしれないエージェントに選んでもらえたということ。

その期待に応えたい。時間のある限りパソコンにかじりついて情報収集をしなければ申し訳ない。

ここで頑張ればもっと気にかけてくれる人が増えるかもしれない。

少しの間、頑張ってブックマークに専念した時期がありました。

誰よりも早く、チョット奇抜で面白そうな記事や出来事を探して懸命になったのです。



「私の自分用にしたブックマークを他の人が便利だなぁ、いただき」と思ってもらえればいいのではないの?

ブックマークの仕方を演出したり、稀有だったり奇抜なブックマークを意図的にすることが求められているわけではないでしょう。

自分を妄想の相手に合わせてブックマークを演出することは、どうなのでしょう。

私の素の興味、関心事ではだめなのでしょうか。

今こうして「誰かの役に立ちたい」なんて身の程知らずなことを書いている自分が、かなり恥ずかしいです。



人の目や評価を気にするより、まずは自分の足元をきちんと整え見据えないと。

私はどんな情報が欲しいのか、何に興味があるのかが最重要。

評価はおまけ。

評価のために自分を躍らせてはダメなんですよね。



たいした知恵も経験も持ち合わせていないのに、自意識だけは一人前に強く、更に自己顕示欲もみなぎっている。

表現を試みるものとして完全否定しなくてもいい要素だと思うところもあるけれど、

自分の目的がしっかりしないのに、全てを他人に押し付けるのはダメなんだ。

自分で自分を見つめないで、他人の評価におぶさったり寄りかかって楽してはダメなんだ。



自分の身の丈を自分で冷静に厳しく認識することをやめて、誰かに誉められているから、求められているから私は十分いけているんだっていう認識の方が、心地がいいし、楽。

孤独に自分を見つめて戦うよりも、大勢の中でふんわりしているほうに流れたくなる。

みんなの大きな流れに私も乗っかって、「そうだよね」って相づちを打ち合いたい。

見てほしい、誉めてほしいでいっぱいになってる。

でもふと我に返って、「なんて他力本願で弱いんだ」と激しい自己嫌悪でのたうち回ることになる。



これは「はてなダイアリー」を書いていても同じ事。

クリップのつきやすいことを目的に題材をみつけて、クリップを期待しながら記事を書いたりするのはおかしい。

反対にクリップねらいだと思われそうだからと、書きたいことを避けるのもへんなのだ。

更新頻度を増やさないとせっかく来てくれた人に申し訳ない。とか辞めたと思われちゃうとか。

そこには、私がいない。

私がどう感じたのか、私が叫びたいことがちっとも反映されず、本来の主題から遠ざかっている。

書くのは私なのに、私の気持ちをヨソへ置き去りにして何を書こうというのだ。



読んでもらってもかまわない気持ちではいるけれど、読まれるために書いているんじゃない。



私は自分の頭で考えて、自分で反省したり感動したりする。

そのことを記事として書く。ブックマークの記事としてクリップする。

この行為はこっそりしているわけではないし、オフラインでの作業でもない。

見られている、そして見せている。



しかし、メインは見せることじゃない。私が感じること、考えること。

同じ見てもらうなら、魅せる感覚を身に付けなくては。

まず私の目が魅せられ、心が躍るようなたくさんの事象に出会わなければ。