コメント欄の敷居に体当たり


はてなを知って利用する前は、同じブログ会社のいろいろなブログにお邪魔してたくさんの刺激を受けていました。
そしてじっくり読みふけった後、そのブログのオーナーに向けて、
「記事を拝見しました。私はこんな風に感じました。」とお知らせしたい気持ちが旺盛でした。読んだらほとんどの場合、自分の気持ちを残していく。これがお決まりのパターンでした。興味を持って読むという事は、何かしらの惹かれる部分があるから感想も自ずと湧いてきます。


ところがはてなの利用をはじめた頃から、読んだブログにコメントを残す事が極端に苦手になってしましました。記事を読む数は、以前よりもずっと増えているはずです。じっくり何度も何度も読み返す回数も。なのにコメントが残せない。手持ち無沙汰でなんとなく後ろめたさを感じながら、ソソソっと帰って行く始末です。


はてなブックマークがあるからということも、一因ではあります。縛りはかなり厳しい『100文字、改行無し』。少ない文字の中に思いの丈をぶつけられる唯一の場所として、周りの空気も何のそので書き綴っています。この時は、不特定多数に見られている前提での、私から記事の著者へ1対1のメッセージを送っています。


はてなをはじめる前、記事へコメントを残せていた頃の気持ちも同じです。
コメントは個人的なメールではないので、そのブログを訪れる他の人も見る事になります。「他の人のブログにコメントを残す事も、立派な自分のブログのアピールになる」と説かれている記事も拝見して、深くうなずいたこともあります。なので、私も誰にでも見られている事を前提にコメントを書いていました。しかし、そのことを念頭に入れながらも、記事の書き手の人へ向けて、一心に書いてメッセージを送っていました。


でも今はブログにお邪魔しても、コメントが残しにくいのです。躊躇してしまう。はてなブックマークの存在は一因ではあるけれど、すべての原因ではありません。
どうしてコメントがしにくくなってしまったのか、ずっと考えていました。


記事を読んでさぁコメントを、と思う時、ふと立ち止まってしまうんです。
私がここにコメントを置く事で、せっかくの記事にノイズが入ってしまうのではないのか。
もともと形成されているコミュニティーの調和を崩してしまうのではないのか。
例えれば、せっかく水面にきれいな波紋が幾重にもできてきれいに広がっているのに、ドボンと石を投げ込んで、その波紋をメチャクチャにしてしまう様な恐怖。
そんな無礼な事をして、迷惑をかけてしまったり拒絶されてしまうのではという恐怖。


はてなブックマークを通して、ブログの会社の枠を超えていろいろなブログ、人と巡り会えます。そのいろいろという世界が広すぎて途方も無く、自分の存在や感想、意見が突拍子も無いものに思えてきます。同じブログ会社を利用する人としか交流をしていなかった時には明確に気がつかなかったことです。同じブログ内で同じシステムを共有しているという仲間みたいな一体感。自分らしさを押し出しても受け止めてもらえそうだという、依頼心と安心感があったのだなぁと感じました。


私自身のもう一歩相手の記事に踏み出す恥ずかしさや、自信のなさ。色々な気持ちが入り交じってグズグズ、モジモジしてしまっていたのです。記事にはとけ込めても、記事の著者にはものすごく人見知り。隠れてこっそり記事にホレボレしたり、感嘆していたのです。ブログを運営する場所が変わってしまうだけで、こんなに気後れ感を呼び込んでしまうなんて。今まで同じブログシステムを使っているというだけで、ずいぶんと相手におぶさっていたんだなぁ、と気づかされます。


コミュニケーションなんだから,双方向じゃないとね。ここじゃ,つつましやかなのが美徳にはならない。
オトコのキモチ : ブログセックス考(3) - 双方向のコミュニケーション


この言葉でかなり背中を押された思いがしました。
嫌われたくないのか。馬鹿だと思われたくないのか。だからコメントの敷居が高くなったのか。
しかしその守りの姿勢がさらに私をお馬鹿さんにし、伝えたい気持ちも伝えられない情けないものとしてしまうのではないのか。


こんな奴だからとか、馬鹿だからを振りかざして、無礼な行為の免罪符にはしたくない。だけれど、ブログというコミニュケーションの場所で引きこもってグズグズ、モジモジしていても何も伝えられないし、なにも始まらない。


私には、体当たりでぶつかっていける思いっきりさはあるじゃないか。ぶつかっていこう。自分を囲う壁を砕いて、記事の著者への懐めがけて飛び込んむしかないじゃない。何にもしないで身悶えしている場合じゃない。これでまた失敗したら、その時にまたいっぱい悩んで苦しむ事にします。