継続の源
なぜブログを続けるのか。何のためにブログに記事を書いて公開するのか。
何かを始める時、ある一定の目標や目的を始めることは多いです。
理由も対象の下調べも無く闇雲にはじめるのは、危険な場合もあります。
それに、なんといっても効率的ではありません。
下手をすれば同じところをぐるぐる回っているだけで力を消耗し、へとへとになってしまいます。
そのくせ何も得られない疲れ損。
そんなことが無いように、目標や目的を持って、物事を始めることは至極納得のいくことです。
これが仕事であれば、もちろん目標も目的も持って行動をしないと困ります。
見切り発車でなんとなくでは計画も立てられません。
しかしブログは趣味。
少なくとも私はお金をいただいて責任を請け負っているわけではありません。
趣味で個人的な楽しみの一環であるならば、
いつでも物事を始めるきっかけが明確な場合だけとは限りません。
- ただなんとなく。
- 流行っているから。
- 興味本位で覗いてみる。
試してみる感覚で足を踏み入れることもあります。
はじめてみて、だんだん目標や目的さらに意義や定義づけができてくる場合もあります。
ただ単にやめてしまう理由が見つからないから続けていることも。
明確に「何かができるようになりたい」などの目的なしにはじめた場合、また続ける理由も曖昧なままであることが多いと思います。
私のブログは毎日更新でも無く、忘れた頃にちょこっと更新が定番になりつつあります。
つかず離れずほどよい距離感。でもまだやめることはないなぁと感じています。
その理由の一つに、
- 目標や目的が見えない。わからない。
- ブログを書くことによって、達成感や喜びの手応えを味わうことがまだない。
いつか見つけてやりたい。達成感や手応えを感じてやりたいという探究心というか追い求める気持ちの方が強いです。
きっと目標や目的が見つかり、達成感や手応え得られたら、やめてしまうのでしょう。
わからないから、その先に何があるのか知りたいから、続けているんだと思います。
ずっと先、あと何十年も後になって今やっていることを振り返った時、私の行動や思考の一連のプロセスの一環であったと思えたらいいな。
プロセスの途中では何にも意味は無く、意味や意義が見いだせなくても、長い時間でひきで見てみるとちゃんと線路に乗っかっている。そんな感じが理想だし、しいて言えば目標です。
もちろん小さな枝葉や回り道だったとしても、この行動が後に反面教師になったとしても無意味ではないんですよね。
- 手応えがしっかり感じられない
- 単調な作業の繰り返し
何も得ていない無意味で無駄なことに思えてしまうこともあります。
でも、誰かの言葉や意見に惑わされながら自分の姿を映し出すよりは、長い自分の線路を一心不乱に振り返らずひたすら続けてみるのも悪くないなぁと思ったりもします。
答えが見つからない中で進む道は険しいこともあるけれど、不安や寂しさを抱えながらも何かを求めて進むこともまた楽しみ方もあります。成功ばっかり、近道ばかり。そんな平穏で安心な事柄ばかりではなく、面倒や苦しいといった多様さも私には必要だと感じています。