器を守るもの


誰かからの言葉が無闇に私の心に刺さる時がある。
それは、往々にしてコンプレックスなこと、
もしくは認めたくないけれど、欠点として図星なことに起因することが多いのではと思う。


もちろん、私のコンプレックスや欠点は私自身でさえも避けて通りたいこと。
ましてや誰かにあれこれと勝手に評価されて、受け入れることは容易くない。
少なくとも私は精神的に相当な余裕がある時ではなければ、
大人気ないとわかっていても不機嫌になってしまうと思う。


不機嫌の毒が私の内側にのみ巣食って、外への感染が抑えられる時ならばまだましだ。
これが外側に向いてしまうとタチが悪い。
反射でいかに自分が正しいか力説してわかってもらおう(正直に言うと、矛盾覚悟でねじ伏せ押し付けてやろう)とするかもしれないし、
地雷を踏まれたと悲観にくれて、相手に謝罪を求めて暴れまわってしまうかもしれない。
私が他者へ理解を求めるパフォーマンスをする場合、
自己矛盾で持ちきれずに戸惑う私自身への言い訳や演出だったりすることがあるので、本当に迷惑極まりない。


しかし、私がどんなに私の中のコンプレックスや欠点を認められなくても、事実はかわらない。
存在するものは、確実に存在するのだ。
たとえ自己認識では普通な部分と把握していたとしても、
ちょっと突付かれたくらいで動揺していたら、それはウィークポイントと思われても致しかたがない。
誰かに私のウィークポイントなフレーズを露呈してしまったことになる。
『このフレーズを浴びせかけると、私は簡単に折れてしまいます』 
と首から看板を下げて歩いているようなものだ。


ウィークポイントというのは、自然界の動物にとっては命取りになる場所だ。
敵が来襲してきたら、真っ先に餌食になってしまう。
ウィークポイントを防御もなしに、見せびらかすということはそういうことだ。
それに、動物は獲物の弱点を嗅ぎ分ける力は鋭い。
無邪気は可愛いが、餌になっては可愛さも台無しだ。


ヒトは捕食されにくいから、そんな心配はいらないだろうか。


 1. いちいち誰かの言葉がウィークポイントにあたらないか、びくびくと探る
 2. ウィークポイントを突かれたら、すかさず臨戦態勢を整えて対抗する
 3. 日ごろの防御策としてパトロール場所を広く持って、警戒する
こうなると、かなりの体力も精神力も消耗する


相手が竹の子なら、キリがない。
一瞬でも目を離すと、すぐに竹やぶになってとり囲まれてしまう。
相手がヒトであったとしても同じこと。
何かが変わらない限り、潰してもなぎ倒してもまた敵は現れる。
物理的に敵がいなくなっても、弱さが作り出す心の中の敵はいなくはならない。
一生小ばかにされ続けるもぐらたたきの連続だ。


これではどんなに健康自慢のヒトでも、過労死まっしぐらではないのか。
いろいろなものを消耗してからでは、体力や精神力を強化するのは難しい。


ウィークポイントを守ろうとすると、他の部分の防具を拝借して強化の手助けとすることもあるだろう。
そうなると、ウィークポイントではない部分にまでしわ寄せがいき、新たなウィークポイント予備軍を作りかねない。
結果として脇が甘い状態を増やしてしまうことになってしまう。
簡単に寝首をかかれてしまいそうだ。


誰かのフレーズが心に刺さるということは、そのフレーズが私のウィークポイントシグナルが点滅している証である。
現実逃避して私のその場しのぎな自己満足正義のために闘うこともあるだろうが、体力的にも時間的にも無駄が多すぎてキツ過ぎる。
やはり寿命は縮まるばかりのようだ。
ウィークポイントの根本を改善しない限り、命が絶えるまで乱暴な逃亡者になってしまう。


ウィークポイントをつく誰かの思いはどうだろう。
傷付けることを意図して?
傷つけたのは偶然?
相手と自分の空気の違和感?
相手と自分の距離を見定める提案?


いちいち私のために時間や精神力だけではなく、繊細な心を割いてくださる方々もいるだろう。
でも世の中私に都合のよいことばかりではない。
私の存在でさえどこまで私以外の人にとって都合がよいのか考えれば、答えはおのずと導き出される。
それでも、そうであったとしても。
せっかく私に向けられた誰かの意識を、ただ踏み潰して私自身をも潰してしまうのか。
貪欲に外部からの頂き物として、少々の腹立たしさは堪えて1つでも逃亡の芽を減らすことはできないのか。
どんな経緯であれ、私の元に飛んできた思いは偶然でももたらされた巡り合わせだ。


タダより高いものはないという。
そう。
簡単で、口当たりのよい表面ばかりを追いかけていると、本物やお気に入りは手に入れられない場合もある。
少しぐらい腹が立っても、手に入れておいた方がお買い得なものだってあるだろう。
少しといわず痛い思いをして手に入れたものの方が愛着もより深くなって、いい買い物だったということもあるかもしれない。
自分自身のための買い物。
どうせなら一生モノを手に入れて、大事にしていきたいものだ。